Thornton Wilder•ソーントン・ワイルダー

(English on Page 2)

お久しぶりです!!少しお時間が空いてしまいましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?『わが町』のブログに再びお越しくださいまして、ありがとうございます。

今日は、とても良いお知らせを皆様にお届けできることを、大変嬉しく思います。
 
名古屋プレイヤーズ、そして『わが町』のキャストとプロダクションのチームは、来年、2021年6月12日(土)及び13日(日)の公演に向けて、遂に活動を再開致しました!!

これからもこのブログを通じて、『わが町』についての興味深く、そしてお役に立てる情報をお伝えできるよう頑張りますので、是非ともお付き合いください。

前回のブログでは、日本における『わが町』の上演の歴史についてお伝えしましたが、今回は、ブログ再開に相応しく、『わが町』の作者、ソーントン・ワイルダーについて深く掘り下げようと思います!!作者について知ることは、より物語の素晴らしさを発見していただくために、良い入口となるのではないでしょうか??

Thornton Wilder, circa 1948

皆さんは、ソーントン・ワイルダーについて、何か知っていることはありますか??

実は筆者は、名古屋プレイヤーズの次回作について耳にするまで、『わが町』も作者のソーントン・ワイルダーのことも知りませんでした。

アメリカ文学史を調べると、アーネスト・ヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドと同世代のようで、1926年に最初の小説『The Cabala』を発表して以来、亡くなる2年前である1973年まで、精力的に執筆活動を続けていたようです。

そこで、今回はソーントン・ワイルダーが発表した様々な作品や活動、功績等々、私なりにいろいろ探ってみました!!

まず、真っ先にソーントン・ワイルダーについてお伝えしなければならないのは、彼は、小説『サン・ルイ・レイの橋』(1928年)(The Bridge of San Luis Ray, 1927)で最初のピューリッツァー賞*を、戯曲『わが町』(1938年)(Our Town, 1938)と『危機一髪』(1943年)(The Skin of Our Teeth, 1942) で2度、併せて3度1 ピューリッツァー賞を受賞した、希少且つ素晴らしい、アメリカを代表する作家・劇作家であるということです。

ワイルダーは実に多才であり、上記3作の他にも様々な創作の分野で数々の素晴らしい作品を残しています。

肩書を羅列するだけでも、劇作家、小説家、エッセイスト、翻訳家、文学研究者、教師(フランス語等)、講師、歌劇作家、映画の脚本家……等々、かなり広い範囲で様々な活動を行っていたことが解ります。なんと創造性に富んでいたのでしょうか!!
 
例えば、ワイルダーは、1942年、アルフレッド・ヒッチコックの映画『疑惑の影』(Shadow of a Doubt)の脚本制作に携わっています。筆者はヒッチコック映画のファンなのですが、当時ソーントン・ワイルダーを知らなかったので、タイトルクレジットには全く気にも留めていませんでした。

この作品もまた、日常生活にじわじわと心理的恐怖が襲う、ヒッチコック・サスペンスの傑作の一つです!!

カリフォルニアはサンタ・ローザ、「普通の家庭」の「普通の日常」に退屈を覚える思春期の少女チャーリーとその家族のもとに、ある日、チャーリーがこよなく慕う同じ名前の叔父チャーリーがやって来る。次第に叔父の謎が明らかになり、普通の家庭の普通の日常が壊れ始めるというストーリー。

お気づきですか?「家族」と「日常生活」がストーリーの軸なのです。「わが町」に共通する点がありますね!『わが町』に登場するキャラクター、レベッカに似た女の子もでてきますよ!!

会話の所々にクスッと笑えるユーモアが隠れていたり、家族の日常を描く会話が面白く、「わが町」を彷彿とさせるものがあります。

ワイルダーの表現の世界に触れるために、こちらの映画をチェックしてみるのはいかがでしょうか??

他にも、ワイルダーは、音楽好きな一面もあり、自身の戯曲『The Long Christmas Dinner』と『The Alcestiad』を基に2作のオペラの脚本まで書いています!!

翻訳家の面では、イプセンの『人形の家』を英語に翻訳・脚色したり、ジャン=ポール・サルトルの『墓場なき死者』など、数々の言語に精通していたワイルダーは、世界各国の言語で書かれた戯曲を翻訳し発表しました。

アメリカ芸術文学アカデミー2 は、研究者や専門家などによる優れた文学翻訳とその貢献を表するため、ソーントン・ワイルダー翻訳賞を創設し、2009年以降、2年ごとに受賞者が発表されています。
 
更には、ソーントン・ワイルダーは、演じることも好きだったようで、自身の様々な戯曲の中でちょい役や大役などを演じては楽しんでいたようです。

『わが町』の上演に関する写真やワイルダーによる作品群、その他様々なエピソードなどは、ソーントン・ワイルダーに関するオフィシャルサイトでたくさんご覧いただくことができます。とても楽しいです。是非ご覧ください!!

私も、今回このブログを書くために、こちらのサイトには非常にお世話になりました!!
(https://www.thorntonwilder.com/)

ところで、ソーントン・ワイルダーは、大自然の中を散歩したり、各地・各所を歩き回ることが多く、その際に思いめぐらし浮かんだアイディアを少しずつ形にしながら、創作活動をする人物で、『わが町』の構想も、そのようにして考えていたそうです。

ワイルダーの甥、タッパン・ワイルダー氏によると、「ワイルダーはもともと書斎にこもって書くタイプではないため、‥‥‥さまざまな場所で書き続けていた。」のだそうです【ハヤカワ演劇文庫『〈演劇9〉ソーントン・ワイルダーI わが町』】。

Gertrude Stein, circa 1935

そうした独自のやり方で、革新的な『わが町』を創作したワイルダーですが、その飽くなき創作への探求心には、一人の作家との出会いが大きく影響しているといいます。アメリカ人の作家、ガートルード・スタイン3 です。二人は1935年、ガートルード・スタインのシカゴ大学での講演会で初めて出会っています。ちょうど、ワイルダーにとって一番創作活動が盛んで、数々の作品を発表している時期でした。ワイルダー自身、教師として講義や講演会などを行っていたことから、意気投合し、交流を深めたり、書簡のやり取りをとおして、お互いの文学に対する考え方や、自らの活動に対する姿勢などを交換し合いました。

ワイルダーは、散歩やあちこち歩き回って創作のインスピレーションを得る作家だったため、海外にもよく旅をしていました。その際、度々、フランス、パリにあるガートルード・スタインの住まいも訪ね、彼女と文学に対し意見を交わしています。彼女との文学に関する意見交換は、『わが町』を始めとする数々のワイルダーによる戯曲やその他の創作にも影響を与えているといわれています。

ガートルード・スタインに関しては、このブログでいつか詳しくお伝えできると嬉しいです。

彼の代表作である戯曲『わが町』は、その初演後、大きな反響をもって迎えられることとなります。次回のブログでは、その『わが町』が持つ革新性について迫ってみたいと思います。

また次回をお楽しみに!!

山本 温美
Content & Outreach担当
名古屋プレイヤーズ

  1. アメリカ合衆国における、優れたジャーナリズム、音楽及び文学の創作に対する功績を称え与えられる賞です。文学セクションに関しては、フィクション小説、戯曲、歴史、伝記及び自伝、詩及びノンフィクションの6部門から成っています。 []
  2. アメリカ芸術文学アカデミーは、アメリカにおける文学、音楽等の芸術の卓越性の育成、支援並びに維持を目的として1780年に創設された、250人のメンバーからなる協会です。ソーントン・ワイルダーも、1928年にメンバーとして選出されています。 []
  3. ガートルード・スタイン(1874年2月3日生まれ、1946年7月27日死没)

    アメリカの作家、詩人、劇作家、美術収集家であり、20世紀初頭における英語文学(とりわけアメリカ文学)、またフランスはパリの当時のアートシーンを知る上で最も重要な人物の一人です。フランスはパリに住み、アーネスト・ヘミングウェイや、スコット・フィッツジェラルド等の当時のアメリカ文学界の若者たちと交流し、彼らを「失われた世代」なんて名付けたことでも有名です。
    []

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